6月 192017
 

前回は、指導者たる自分を「認める」という
お話を書きました。
今回は、目の前の生徒を「認める」ということを
考えてみたいと思います。

生徒を「認める」といった場合、
前回とは異なり、ポジティブな側面を取り上げることになると思います。

想像しやすいところでは、
生徒の努力を「認め」、褒める、というものでしょう。

宿題をきちんとやったのか、頑張ったね。
この問題解けたのか、すごいね!
成績上がったね、うれしいね!
靴をそろえて脱げて偉いね。
ゴミを拾ってくれてありがとう。
などなど。

褒める場面は、日常にあふれています。
現場では、このように褒めることが大事だと
よく説かれるのですが、その要点は、
生徒をきちんと「認める」ことにあるんだろうと思います。

このことは、わりとよく当たり前のこととして
忘れられがちだと思います。
指導者は意識していないといけないですね。
当たり前じゃないですから。

生徒が良いことを成し遂げたら、
それがどんなに些細なことでも
やっぱり、偉かったねって褒めないとダメだと思います。
言わなくても伝わることばかりじゃないですからね。
あと、口先だけでは絶対にダメだろうとも思います。
子どもにはわかってしまいますからね。
口先だけの褒め言葉を見抜かれると、
信頼関係が揺らいでしまうでしょう。
いけません。

つまりは,目の前の生徒を,
心の底から「認める」ということができていないと,
結局において,指導はうまくいかないんだろうと思います。

ところで、生徒を「認める」ということは、
何も褒めることに尽きませんね。

むしろ、叱る、しつける場面でこそ重要といえるかもしれません。

私はあなたのことを認めているよ、
だからこそ○○という点は容認できない。
○○という点は□□だから、私の認めているあなたにはふさわしくない、
だからそれはいけないよ。

こうした具合に叱ったり、発破がけをしたり、
ということができるためには、生徒を「認め」ていないとできません。
「認め」のない言葉は、おそらく生徒の心に響かないでしょうし、
もっと悪くすると、生徒を歪めてしまうことになりかねません。

これを愛情というのなら、
そういうことになるでしょうか。

こうしたことは、理屈ではないのでしょう。
考えてどうこうという
テクニック的なものではないところがあると思います。
言外に伝わるものがある。
厳しい注文を出しても、
そこにハートがあるならちゃんと伝わる。
…と、最後のは教育実習時に担当していただいた高校の恩師の言葉ですけれど。
少し、この言葉に迫ることができてきたように感じます。

結論。

とにかく目の前の生徒をよくみて、
生徒の目をよくみて、
愛情をもって接すること。

こんなことを考えました。
自戒を込めて。

高校受験部統括 野中

~付け足し~
日々の業務の中でぶち当たる様々な壁。
突き詰めて考えていくと,
ほとんどの場合は,講師としての在り方に
つながっているなぁと思われました。

講師歴をどれだけ重ねたって,
まだまだ学ぶことはあるし,
その分成長することができる。
ふと感じた閉塞感を突破するための鍵は,
自分の講師としての在り方,
人としての生き方の指針の中に,
全部書いてありました。
青い鳥みたいな経験でした。

 Posted by at 2:45 PM

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