9月 192017
 

前編にてお話ししましたように,小学生中学年頃の会話以来,弁護士(になる?)というものが,私の頭のすみっこに極めてうっすらとではありますが,ずーっと現在に至るまであり続けました。いつかはわからないし,今すぐにとも思わないけれど,いつか遠い将来,そういう方向に自分が進むような,そんな予感。その程度の感覚でした。やがてそのような中,高校受験を経て,将来への確たる目標を決めかねたままの大学受験期,単につぶしが利くからということを公称しながら,法学部を志望しました。もっとも,それは建前で,実のところやはり司法試験を将来的には自分が受けるのだということを考えていたのだと思います(なお,関係ありませんが,司法試験は法学部に通わなくても全く問題なく受験・合格できます。念のため。要するに,そんなことすら知らないレベルの認識だったということですね。)。そのこととは直接関係ないだろうとは思いますが,2浪もするも,東大は受からず,某私大の法律学科へ入学。特に人生に悲観することはありませんでしたが,それなりに敗北感や挫折感は味わいました。そして,大学1年生も終わりのころに某中堅学習塾(現在は大手といえる規模になっています。異様な速度で巨大化している塾でした。)にて,現在に続く自分の講師人生が始まりました。

司法試験の勉強を始める前,なぜこの教育業界に入ったかという点を述べますと,最初は単純に時給が良いから,という程度のことだったと思います。もともと人に何かを教えることが好きな世話好き体質だったこともあり,次第に勉強よりも仕事に没頭するようになりました。

自分が生徒だったら,こんな先生に習いたい。勉強に苦しむ目の前の生徒同様の状況に自分があったとしたら,こんな言葉をかけてもらいたい。自分が中高生のとき,こんな先生に出会いたかった。

いつしか,そうした理想の講師像を胸に仕事と対峙するようになり,やがて,心からお金は二の次になりました。夜を徹して授業の準備をしたり,同僚講師と業務外でも延々と(始発の時間まで)議論をしたり。時給に換算したら,一体いくらになるのか,というくらい泥臭い業務状況でした。しかし,全く苦にならない,といったら多少の嘘をはらみますが,ほとんどいやにならない。つまりは,教育という分野が私の性質に合っていたのでしょう。

やがて,仕事先の同僚で,自分の4歳年上の先輩が司法試験に合格され,検察官になられました。先日,私の合格祝いをしてくださるということで,お会いしてきました。高度に政治的な内容もあり公表できませんが,かつてともに仕事をさせていただけていたことを誇りたくなるくらい,大変なご活躍でした。ちなみに,世間を騒がせている,某政党を人倫にもとる理由で某週刊誌にスクープされたことがきっかけで離党した,某女性政治家がもともと検察官でしたが,彼女がこの先輩と同期だったというのはちょっとした驚きでした。

さて,話がそれましたが,先輩の司法試験合格は,私のなかで自分は司法試験をどうするのか,という少し現実的な問題を突きつけてきたと思います。心がチクリとするような,そんな感覚がしたことを今でもリアルに覚えています。いよいよ目を背けていることはできなくなった,そんな,少し胸が詰まるような心持ちがしました。

そこからはしばらくの葛藤もありつつ,勉強方法も0から模索しながらの受験勉強の開始でした。当初は苦労の連続でした。自分に合った勉強方法は大学受験で見つけていたつもりでしたが,自学自習でどうにかするという骨太の学習姿勢はまだ身についていなかったようです。加えて,法律という分野のとっつきにくさときたら,最悪でした。何しろ,教科書と呼ばれるものを読めど,ほとんど意味がわからない。それでいてちまたには数多の参考書・問題集があふれていて,どれがどのような用途に向いているのかといった情報も不足していました。こんなことをしていて,一体いつ自分は合格できるのか。暗澹たる気持ちでした。2005年ころのことだったろうと記憶しています。

そんななかでも,継続して塾講師として食い扶持を稼いでおりました。適度に仕事に入ることは,受験勉強の合間の息抜きとしては好都合でした。もっとも,上述の通り,仕事に比重がかかりすぎる日もあり,なかなかバランスをとることが難しかったです。ただ,受験勉強を始めてからの塾講師としての指導はずいぶんとやりやすい面がありました。何しろ自分が受験生ですから,年を重ねているとはいえ,本質のところで生徒と目線がずれるということがほとんどありません。目の前の生徒がつらい,苦しいと思っていることは,私もつらい,苦しいと心から思えるわけです。そして,現在進行形の受験生活の中から得られた勉強への知見は,そのまま担当している生徒に還元できる。そして,担当生徒に対して私が投げかける言葉は,すべて自分に返ってくる。何しろ自分も受験生なわけです。これ,なかなかシャレにならないくらいしんどい面もありました。ですが,だからこそ,生徒にも本気で向き合うきっかけになるし,そのことが自分を律するきっかけにもなりました。

全体なかなかに苦しい面もありましたが,この世話好き体質が,こうした毎日にやりがいを感じないわけがありませんでした。少しずつ受験勉強の感触・手応えをつかみ始めてから,いつしか「受験指導のための資格取得」という道を意識するようになりました。資格取得のための,生活費の稼ぎのための受験指導,ではなく,資格のための勉強から得られた知見を受験指導に活かす,という在り方。もともとの目的が手段となってこそ,自分の中では重要な意義を果たすというように考えるようになったわけです。つまるところ,教育に関する魅力に完全にとりつかれた,というのが現在の私の在り方を決定づけたといって良いように思います。おそらく2007年,2008年あたりのことだったろうと記憶しています。

その後の私の足取りについては,本論から少々外れますので割愛しますが,本当につらいことも楽しいことも,たくさんのことがありながら,2000年も二桁台に入ってほどなく,たまたま合格できた某国立大学院で赤星講師と運命の出会いを果たします。2階のロビーで掲示板を見ている私を,コーヒー片手に赤星講師が声をかけてくれたあの場面は,今も鮮明に覚えています。これもご縁,なのでしょうね。この出会いこそが,私が後に当塾にご縁をいただいたきっかけでした(講師紹介をご参照ください。本編はこちらに続きます。次で終わりになります。お読みいただいてありがとうございます。)。

 

高校受験部統括 野中

 Posted by at 9:58 PM

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